桂浜の大桟敷
その一夕、桂浜は漆黒のカーテンが下りたような暗闇、砂浜には真っ白な波がザワザワと寄せては返していた。月のない夜の海はこういうものかと、海なし県の者には不気味なほどである。
オリンピック金メダリストの水泳選手でも、この海では方向感覚が失われてしまうのではないかと、ふと脳裏を畏怖が過ぎった。
海岸沿いの高台には、壮大な龍馬像が太平洋の彼方を見据えている。昭和3年に建立されたこの像は、鍋や釜まであらゆる金属が徴収された大戦中、海軍の命により供出を免れたという。
闇にそびえ立つ龍馬の勇姿を見上げながら石段を下りると、桂浜には巨大な桟敷が組まれ、赤々と篝火が焚かれていた。煌々とした電燈があたりを照らす中、遠く竜頭岬の灯台から閃く灯光が、真っ暗な海面に長い弧を描いている。
高知県人の気概
桟敷に集う、ゆうに500名はいるかと思う大集団。第23回全国経済同友会高知セミナー(平成22年4月15,16日開催)に集った諸氏である。「今こそ、日本を洗濯いたし申し候」の名文が今回の総合テーマとして、セミナープログラムの表紙に書かれてある。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』の坂本龍馬を生んだ、高知県土佐桂浜がその前夜祭会場となった。
挨拶に立った高知県知事 尾崎正道氏は、「高知県は全国に先駆け20年前に人口減少となり、高齢化率27%。今、手本のない戦いをしている。大きな産業を持たず、中小企業の集まりであり、地産地消ではやっていけない。地産外商である」と話した。
「高知龍馬空港」は、個人の名前が付いた日本唯一の空港である。これは、建設当初からの名称であり、ブームに乗ったものではない。そこに高知県人の気概を感じる。
高知乙女やんか
龍馬空港から乗ったタクシー運転手さんに「高知と他県との違いは?」と聞くと、即座に「女性が明るく気が強い。宴会好きでお酒が強い」と答えが返った。
「うちのかあちゃんなんてビール3杯、その後日本酒だよ。友達と週3回はおきゃくに出掛けるよ」と言う。
「その間、運転手さんは何を?」。「TVみてゴロゴロさ。だけど、かあちゃんはよっけいパートで働いているからな」と楽しそうに話していた。
天晴れ!はちきん
桂浜のおきゃくのテーブルに、大きな丸皿がどんと置かれた。見たこともない料理で、ほとんど焼く、煮る、カツオ刺身、全部冷たいもの――。どこか正月のおせちに似ている。尋ねると、「土佐では、女性もおきゃく(宴会)のテーブルに着けるよう、おきゃく料理とはこういうものなのだ」と言われた。おせち料理も正月の三ヶ日、女性が台所に立たずに済むよう考案されたものと聞く。
テーブルについた接待のお姐さん。1テーブル2名で総勢50名くらい。素晴らしい和服に髪を結い上げ、至れり尽くせりの接待振りである。「さすが、はちきん※」と思わず唸る。
龍馬伝の“乙女姉やん”をふと思い出した。彼女も気風の良いはちきんである。
持たされた盃にはびっくり。天狗の盃は、高台部分が長い鼻になっていて倒れるので下に置けない。お猪口の両脇には穴が開いており、飲まないと漏れる。結局飲みっぱなしで30杯くらい飲んだが、桂浜の寒風が酔いをどんどん冷ましてくれる。
いなせな海の男達が干し藁でカツオを炙る豪快なパフォーマンス。ラストシーンは、「よさこい節」の土佐音頭での賑やかな締めである。はちきんのお姐さん方は、わが店のプラカードを高々と掲げ、テーブルの客達を次のもてなしの場へとバスに送り込んだ。お見事、天晴れなるかな!
高知土佐、男前のもてなしの心
はちきんのお姐さん方と別れたバスでの帰途、車中で遠路の会員を楽しませる接待役の方々の高知風土の語り、玄人はだしである。
あらゆる辻々にライトを携え、はっぴを着て立ち、バスからホテルまで歩きに不安がない計らい。仕組みだけでなく心からの誠実な対応。損得ではできない自然の物腰で、手を取らんばかりである。
何百人の会員が何十回の打ち合わせを重ね、このような催事スケジュールが作られたのか。しかももてなしの心を込めて――。
日曜日に楽しみな『龍馬伝』の、地位も金も求めずひたすら日本の平和と国民の幸福のためにどうすべきかという、大きな大きな無垢な心の目標、それが143年の時を経てもDNAとして高知県人、土佐人に伝わっているのだろう。
「そうでなければできない…」と龍馬の面影を目に浮かべながら思った、心地良い一夜であった。
「国民総幸福(GNH=Gross National Happiness)の視点から始める新たな成長理念の構図」というテーマに基づき、翌日から二日間にわたる長い討論が始まる。プログラム冒頭には、国民総幸福率96%といわれるブータン王国首相が登場し、基調講演を行う。
王国ブータンへの期待を大にして、桂浜のおきゃくは終わった。



