3月11日午後2時46分その時、群馬県の得意先3階ホールで会議中だった。前夜遅く、台湾から戻ったばかりである。帰国が1日遅れていたらどうなっていたか。
大きな揺れの中、コーヒーが飛び、書棚が開きファイルが散乱する。途中危険を感じ、1階に移動して会議を続行。夕方6時にそこを出たが、高速をストップし、一般道は大渋滞。しかし、停電で信号もない中、時速20Kmのスピードで、車は混乱せず秩序正しく走っていた。
停電の翌日夕方、やっと点いたTVで東日本大震災を知ることとなった。通信手段がこれほど電気に頼っていたのかと思い知らされた。TVは、現実かバーチャルか実感できないほどの惨状で余震が次々と起こる中、伝え続けていた。
「国難2度目の敗戦か」「複合大災 日本史上最大の危機」(新聞各紙)などの文字や言葉がその惨状を如実に伝えていた。
随所に映しだされる日本中小企業の底力と日本人の連帯
荒涼と姿を変えた街、溢れる避難所。そこで働く自治体、自衛隊、警察署、消防署、ボランティア、医師、看護師その他限りなくごく普通の庶民。どこから手をつけたらよいのか気の遠くなるような被災地の戦場で、必死に立ち働く姿が印象的だった。
加えて、当日から始まった全国の救援物資受け付けに義援金募集、その素早さに驚き感動した。その灯火はほむらのように、全国隅々まで広がっている。
日本的経営の使命感 創業の火は消さない
TVの画面に1人の男性、福島の造り酒屋社長である。壊滅的被害を受けた工場と会社の周辺で、毎日55人の社員を捜し求めていた。
これまでに避難所や業印を周り22人はみつかったが、あとの方は行方不明。未だ消息のわからず今日も現場に来たところで、2階が1階に崩れ落ち、僅かに残っている事務所の片隅でコンピュータを発見する。その中には、仕事のい7割のレシピとノウハウが書き込まれているはずだという。これがあれば、会社は必ず再興できる。
そして、社長が言った言葉。「この大震災で、工場も機械も何もかも財産を失った。だが、財産は失っても会社の歴史を失うわけにはいかない。自分の代で、会社の歴史の灯火を消すわけにいかない。絶対に再興する」。
大きな布にくるんだコンピュータを、壊れた水道管を天秤棒にして、社長と社員が肩に担いで歩いていく。その後ろ姿をカメラが追っていた。復興の一歩が始まったのだ。
胸がジーンと熱くなるシーンに、思わず手を叩いた。「日本的経営」と呼ばれる社長としての使命感、次の代に必ず歴史のバトンを渡していくというミッションを、この大惨事の中でも持ち続けていることに感動した。
受け継いだ事業のバトンを握って
商品を手にした姉妹の心からの笑顔が新聞紙上にあった。津波で店舗も工場も自宅も全て失ってなお父の代から受け継いで40年、ノリの製造販売を再開する力強い決意がその眼にあった。
避難所に届いた1通の郵便局の入金を知らせる通知書。「この記録を遡っていけば商品を買ってくれたお客様の連絡先がわかる。」真っ暗闇の中に一筋の光が見えた。過去3ヵ年1万人のデータを無料で再発行を快く応じた郵便局。
3ヵ月後に届くデータ、それまでに新しい店と工場を高台に作ろうと土地交渉から始まった姉妹。
絶対に事業を潰すわけにはいかないという強い決意が、人々の心を動かし支援の絆が結ばれている。3ヶ月後1万人のお客様と地方の方々の支援で、第2の創業を歩まれることを祈念している。
民衆の秩序ある冷静さは最良の国家PR(新聞各紙)
救援物資の列に秩序よく並ぶ。弱者を優先し、助け合う。避難所では、大声での争いや食料の奪い合いなど一切ない。駅ビルの中に閉じ込められた通勤客は、通行の邪魔にならぬよう中央を空けて、階段の端に整然と座っている。
・・・などのように、多数の外国人が目にした日本人の姿に驚きと賞賛の声が各国から寄せられた。日本人の持つ通常の意識、企業が共同体が国が必ず復興される日を、一人として信じない者はない。
野田新政権が発足した。新政権を率いる野田首相は、浪人時代中小企業のおじさん50人が1万円ずつ出して支えてくれたという。企業の98%は中小企業であり、“国の宝”と代表選でも述べている。震災の復旧復興を第一に掲げつつ、日本再生、経済再生に、国民から“信頼される政府”として、総力を結集し実現されることを心底念じている。



